#2農業をはじめたきっかけ

佐藤氏は曽祖父の頃から代々農家の4代目。20歳の時、俺がやらなきゃ誰がやる?との思いで親の農業を継承することに決め、農家になった。

収穫したりんごは、市場に出荷するのではなく、新聞折込広告を用いて自ら集客を行ない、直接消費者へ販売している。収量の半分は宅配、残りの半分は産直市場に直販する販売スタイル。

先代から受け継いだ当初4箇所だった畑は今では13箇所、りんごの木は3千本と農園は大きくなった。それでも生産が追いつかないほど販売数が伸びているが、このようなスタイルを実現するまでには様々な試行錯誤があった。

経営と向き合い気づいた
モノの価格の理由

見様見真似で始めた農業だったが、生産技術を学んで8年経った頃、28歳で黒石市のりんごの品評会で一番になり2年連続で優勝。「人に認められるってこれだけ嬉しいものかと、りんごづくりは自分に自信をもたらし夢中になった。」

しかし、どんなに評価されても生活は苦しいまま。佐藤氏は初めて、経営の視点でりんご栽培と向き合い始める。

まずは出荷の方法。農協に出荷する場合、市場が価格を決めるため生産者である農家は価格を決められない。豊作で良いものがたくさんできると、需要に対して供給が多くなり単価が安くなって儲からないという状況や、傷があり形が不揃いなものは、味が良くても市場では規格外となって流通されにくいという状況がある。
そこで佐藤氏は、市場に左右されることなく生活を安定させるために、自分で販売する経営に方向転換した。
さらに、価格の見直しにも取り掛かかる、原価計算し栽培にかかわる人の人件費、運ぶその運賃など含めて価格を設定した。

主な収益となっている宅配での販売については、購買層を踏まえて広告手段や広告の配布場所を決める。どんな人が自分のりんごを買ってくれるのか?考えた上、東京都内の地区を選定して新聞折込広告を行い、毎年試行錯誤を積み重ねている。
そのような、商品を売る人であれば考えるべき当たり前の経営の視点が多くの農家には欠けている、かつて自分もそうだったからこそ、そのことを伝えたいんだと佐藤氏は言う。

価値は相手の心の中にある。
支持してもらえる自分へ。

りんごを自分で販売するようになり、これまで基準にしてきた市場の評価に合わせるのではなく、自分自身で価値を見出して行かなければならない事を実感。
佐藤氏にとってのりんごの価値は、市場で大切にされる赤くて大きい見た目の綺麗さではなく、味や香りだと気づいた。さらに、信頼する経営者や消費者と直接やりとりをする中で、だれが作ったのか、どのように作られたのか、商品にまつわる物語が価値となることも実感した。

「六本木のパティシエが作るケーキがものすごく高くても、食べてみたかったら買うよね。選ぶのは人。モノの価値は人の心の中にあるんだよ。高く売ってお金を稼ぎたいんじゃなくて、作りての取り組みを理解してもらって、価格に納得してもらうことが大事。支えてもらえる、応援してもらえるってことだよね。だからこそ、生産者は自分の物語を発信し、自分の価値を高めていかなければならない。

佐藤氏の好きな言葉に「人生自分株式会社」というものがある。
「物を売るっていうのは自分を売ることだから。だからりんごって自分なわけ。とした時に人生っていうのは要はリンゴ株式会社。自分株式会社。」

価値の基準、判断のものさしは人それぞれに違うけれど、その中で自分を選んでもらえるように、自分が主人公の物語を紡いでいくこと、自分を磨いていくことが、りんごの価値づくりにも繋がっていくのだ。

有機肥料との出会い
肥料がつくるおいしさ

「市場や品評会では赤くて大きいこと、かたちが良く傷がないことが良しとされ、見栄えが悪いものは、例え味が良くても規格外として扱われ評価が下がった。でも自分で販売するとなった時に、消費者から求められるものはおいしさだと。そのためには有機肥料が必要だと思ったんだ。」

畑に導入するものは必ず作るところを見に行き、納得できないものは使わないという考えのもと、大成農材本社がある広島と、石巻市にある肥料工場へも足を運んだ。

「有機肥料は化学肥料と比べると、はじめは伸びが遅く色が悪いように感じられるかもしれない。「バイオノ有機s」を使うと葉っぱの色も浅く、大丈夫なのかな?と思うかもしれないけど後で、とん とん とんと良くなってくるよ」

実際に、「バイオノ有機s」を使い出して1年目から劇的な変化があった。佐藤氏が紹介して使い始めた人も「りんごが美味しくなった」と口を揃えて言う。「うちの母親は、家庭菜園のトマトが酸っぱく無くなったし、今97歳のおばあちゃんも、この肥料を使ってからスイカが良くなったって言ったんだよ」と身内の評判も良い。

近年では昔よりも肥料の量が必要じゃ無くなったと聴き、肥料が土を育てていることをより感じることが出来た。

長女との仕事
農業をはじめて“気づけていなかった”ことに気付いた。

佐藤氏の自宅では、就農を決意して間もない長女のあかりさんに話を聞いた。
「自分で作ったものが獲れた時、これ以上大きくなるのかなと思っていたりんごが育ったのを見た時、(父と)一緒にやって良かったと思った。言われたことをやる仕事とは責任も違うけれど、やりがいを身近に感じることができる仕事だと思う。これ(農業)で(親に)育ててもらったし、いつかはやらなきゃいけないんだろうなと思う気持ちもあった」

休日が限られることや、女性で就農することに抵抗を感じていたけれど、自分が育てたりんごの成長を実感した時の嬉しさや、家族の力になりたいという思いが農業をはじめるきっかけに繋がった。
就農を決心した背景には、農業を実践している魅力的な女性農家との出会いがあり、その方々との対話があかりさんの偏見を解いたと言う。

農業をはじめて5ヶ月、新しい発見はありましたか?という問いに「父との仕事を通じ、自分が“気づけていなかった”ことに気付いた。気づける人になっていきたい」
栽培中のりんごを見て気づくことや、やりたい農業経営のこと、父には見えていても自分にはまだまだ見えていないことがある。新しい一歩を踏み出した彼女の姿は、私たちが農家を訪れ、そこにある思いや取り組みに、少しでも気づいていきたいと願う気持ちと重なり、はっとさせられた。