#2農業をはじめたきっかけ・法人化への分岐点
音楽活動とファンづくり。
理想の農産物づくりのための栽培方法を模索し続ける彼の姿勢や多様な事業展開は、ひとつの方法や価値観・視点にとらわれることがない。持続可能な経営においても説得力に満ちていた。
どのような経験や環境が今の彼をつくったのだろう?
これまでの経緯について尋ねた。
佐藤氏は青森県黒石市で代々米農家の6代目として生まれた。
高校3年生の時、4代目の祖父の経営が破綻し土地も家も競売にかけられるという経験を経て高校卒業後に就農。5代目の父と共に借金数千万円からのスタート、母も含め3人でがむしゃらに働いた。それを支えたのが高校時代からの音楽活動だった。ホールをレンタルし、チケットをいくらで何枚売ると赤字にならないか、ライブの終始決算や集客活動を自ら実践して身につけた経営感覚で父をアシストし、借金も数年で返済したという。
「音楽をやっていて本当に身にしみたのは、同じ曲でも歌う人が違えば違う曲になるということ。その違いは良い悪いじゃなくて、聴く人が好きか嫌いかなんですよ。自分のことを好きって思ってくれる人をどれだけ獲得するかが多分ファンづくりの基礎なんです。
「美味しい」って、舌だけで感じるもんじゃなくて目とか環境とか温度とか、そういった全ての要素でできている。農産物も曲や言葉と一緒。」
「誰に何を届けたいのか」を明確にし、調査し、購買層に向けてプロモーションしていくこと。自分のことを好きになり応援してくれる人を増やすこと。音楽で学んだファンづくりは農業を営む上でも同じで、「だいたんぼプロジェクト」しかり相場に左右されない経済基盤をつくることにも活かされている。
法人化への分岐点
地域が抱える課題。
農家が家族経営から法人化するきっかけとは?
加工・販売の強化、後継者の確保、信用力向上による取引拡大、制度上のメリットなど様々のようだが、佐藤氏の動機は「このままでは地域の未来があぶない」という危機感だった。
当時、黒石市の「人・農地プラン」(注1)に掲載されている経営体は229、田んぼの面積は1400ヘクタール。しかし、229の経営体の中で、後継者がいて農地を担い規模を拡大できる経営体は5程度しかなかった。すると1つの経営体が280ヘクタールを担うという計算になる。その時佐藤氏は一人で30ヘクタールを担っていた。
「頑張って40ヘクタールは担えたとしても200なんて絶対無理。そういうことを考えていた時に過労で倒れて、救急車で運ばれながら、もう法人化しかないと思った。ごまかしてきたけど家族経営の限界を認めました。」
その後、法人化した佐藤氏の元には、農業リタイヤ者からの農地が年々集まり、創業時33ヘクタールだった田んぼは4年で約2倍の60ヘクタールほどになった。現在地域とも連携して農地を動かしている。
注1) 人・農地プランについて
国土がせまく山間地の多い日本では、多くの農地の区画が小さく、河川の氾濫や土砂崩れなどの自然災害と向き合いながら農業を営む知恵としても、農地を1ヵ所にまとめず分散させてきた。しかし農地の区画が小さく分散しているために機械化が進まず、移動に労力と時間を要するなどのデメリットもあった。そして今、日本の農業は、就業者の減少・高齢化により全国的に担い手不足が進むなどの問題を抱えている。そのような取り巻く環境の変化に合わせ、農地集積・集約化が促進されている。農地の集約が進むことによって、省力化・効率化・大規模経営化が可能となり、耕作放棄地が減少するとともにコストダウンや生産力のアップ、安定した農業の実現につながると考えられている。
そうしたことを背景に平成24年度から、農林水産省では「人・農地プラン」の作成を推進している。
「人・農地プラン」とは、農業者が話合いに基づき、地域農業における中心経営体、地域における農業の将来の在り方などを明確化し、市町村により公表するもので、「将来にわたって地域の農地を誰が担っていくのか」「誰に農地を集積・集約化していくのか」を地域の皆さんで決めていくものである。
農業は地域をデザインすること。
しかしなぜ佐藤氏は地域の課題について自分を追い込み倒れてしまうほど自分ごととして考え、こんなにも地域の未来を思えるのだろうか。
どんな農業を大切にされているのかという問いには
「地域の人が見て気持ちよくなれる田んぼにすることや、笑顔になれる農業を心がけています。そしてリタイアを考えたときにも、僕らになら安心して預けられると思ってもらえるような農業をやっていきたい。農業って地域デザインなんですよ。」との答え。
田んぼの農家は、ハウスや栽培地が孤立している農家とは違い、草刈りや水の管理といった仕事が全て地域の人の目にふれることから、地域をつくっている意識が大きいのだという。 田んぼの手入れの他にも、隣接する住民との関係、考え方の違いにも向き合っていかなければならない。例えば農薬の使用・不使用など、栽培方法に対する考え方も人それぞれにある。 だからこそ、相手の気持ちを思いやり、多様な価値観を理解しようと努める姿勢が必要なのだろう。
「アグリーンハートがここに居て良かったと、周りの人に感謝され、自分も感謝できるように相手の価値の軸に合わせて自分を変えていくことが大切。」
そう話す彼の農業は、住民同士が相手を認め支え合うことのできる地域づくりにもつながっているように思う。
家族のためから地域のためへ
そして、地域から世界へ。
「“地域のための農業”という意識がすごくはっきりしたのはGLOBALG.A.P.(グローバルギャップ)を取得した時です。世界地図に表示されたアグリーンハートを指差すと、黒石市も青森県も東北も指の中に入っちゃう。その時、アグリーンハートは黒石市の法人ですが世界の一部なんだと思えた。僕は家族のために農業をやってたんですけど、それは地域のためでもあることに気づいたんです。だから黒石の農業で地域をデザインすることは、東北を、さらに日本をデザインすることなんだと思った。」
捉える視点によって、家族のための農業は、黒石という地域のためであり、世界のための農業になる。
そして、彼が“地域のための農業”を考えるようになっていった原点には、東日本大震災の復興支援として行ったチャリティー活動があった。
「ライブをして作ったCDを1年かけて売り、利益の80万円を被害のあった青森県八戸市に寄付したんです。けれど、青森県出身のプロミュージシャンがチャリティーライブを一回やって400万円寄付したと聞いて、受け皿として、人としてもっと大きくなりたいと痛感しました。例えば地域の人が何かしようとした時にも、大きい一歩を踏み出せる助けができるように。」
「地域や誰かの力になれる自分でありたいと願う」その言葉は、地域の人がどう思うか、どんな地域であってほしいかと、佐藤氏が相手や地域の望むものをいつも思い描いているのと同様に常に自分と向き合い「どんな自分でありたいか」と問い続けている姿勢を感じるものだった。