#4野菜づくりの魅力

ちっちゃい時からやりたかった、好きやったし

「玖珠のいい所ってどこですか?どこだろう?って、そう言う人が地元には多いと思います。外から来ると温泉もあるし、正面の山のああいう景色もあるね、とか言うんですけど、またいつでも見れるしね。」

自宅はハウス近くの小高い場所にあり、街の風景を眺めることができる。
この街で農家の息子として生まれ育ち、子どもの頃から農業に触れてきた神連氏は、農業の専門大学校を卒業して就農。トマト、梨、ピーマンやほうれん草、米など様々な農作物を栽培してきた。
農業を離れて企業で働いた時期もあったが「俺には野菜作りしかない」と思い至り、栽培経験があり農協に部会のあったピーマン栽培をもう一度始めることにしたのだった。
野菜作りしかないと思った理由を伺うと「ちっちゃいときからやりたかった、好きやったし」とのこと。
自然豊かな玖珠町で彼が農家になったのは当然のことのようだった。

農業には答えがない
全然読めないから、またそこも魅力かな

野菜作りの魅力は?と伺うと「まずは、収量や品質が、良いものができたなって、納得したものを消費者の人に届けられた時。やったことが全部自分に返ってくるしね。あとは、農業には答えがねーなぁっていうのがあって。どげやったらどげなるかが全然読めないから、またそこも魅力かな。未だにわかんないことの方が多いです(笑)。」
ピーマン栽培の魅力についても「簡単そうで難しいところ」と明るく答える。

「ただ作るだけやったら今は有機肥料のおかげで安定はしてるんですよ。でももっと良い方法を、もっと良いものをと、いろんなことを考えていくと、はぁ…難しい…って思います。」神連氏は難しさにため息をつきながらも、わからないことを面白がり、野菜づくりを探究し続けている。

会うと勉強になる
興味がどんどん出てくる

全国各地の農家や肥料メーカーへも仲間を連れて勉強に行く。
「いろんな所に行って、出会った人の話を聴くと勉強になるんです。逆に難しくなってくるのもあるんですけど、あぁ、こういう人もおるんやって興味がどんどん出てきて。ここら辺と気候が違っても見たら絶対何か参考になる。」

神連氏はチーム(ピーマン部会)のリーダーであり、教える立場でありながらも、誰からも常に学ぶ姿勢を持っている。「今度、大学出たばかりの子たちの指導をするんで、時間見ながら大学で習ったことを教えてって伝えてるんです。そこで新しい事が分かれば僕も勉強になるから。
海外で農業経験したのも居るんで、面白いこといっぱいあるやろう?教えてって。多分作り方自体は大雑把なのかな?でも植物を素直に育てるやり方は外国の方がやってますよね。」

農業を始めた甥っ子さんの話
「叔父はいつもプラス思考、絶対妥協しない」

近所では甥っ子である後藤氏もカラーピーマン農家を営む。前職ではコンビニの店長を務めていたが、早朝から深夜まで働いても正当な対価が得られない仕事に悔しさを感じていた。そんな中、神連氏の勧めで農業を始めた。

今年で就農5年目を迎える彼は「農業はやったらやった分だけちゃんと収量と金額で返ってくる」という。
「手を抜いたら抜いただけそこは落ちる。自然災害などどうしようもないんですけど、それを含めても、やった分が利益として返ってくる。」「今年はもうちょっと儲けんといけん、じゃぁここを頑張ろうと、毎年自分で考えられるのもでっかいなと思います」
責任は大きいが、農業には自分で判断できる自由や選択したことが正当に評価されるやりがいがある。

農業の魅力は「毎年ようやく出荷できる時の嬉しさや安心感」「自分の育てた作物や、やったこと全てが売り上げにつながり、家族を養えているとダイレクトに感じられること」そして「農業って沼ですよ。もう終わりがない。片足突っ込むとそのままハマっていきます。その沼の中で上手くバランスを取りながらやるとすげぇ楽しい。肥料のことを考えて、生育のことを考えて、農薬のことを考えてって、やっぱり色々すると楽しいなって。しばらく抜け出せんのんやろうなと思います。」と教えてくれた。

神連氏と同じく後藤氏もまた、簡単にはわからない農業の難しさを魅力として捉え、面白さを見出している。
農業の世界へ導いてくれた神連氏への思いを尋ねると「叔父は農業に対していつもプラス思考、絶対妥協しないんですよね。常に何か新しいことがあるんじゃないのかって考えてる。あの…言い方は失礼なんですけど、60過ぎてそんなふうに考えられるってすごいと思う。それをさらにどうにかして上に行こう上に行こうと、まだなんかあるんじゃないかって考えるから、落ちずにずっとやっていけてるんだろうと思う。そこは近所で作業してて思うところだし、やっぱ見習わないといけない。」

現状維持ではなく、向上心を持ち続ける神連氏を敬う気持ちに共感した。

後藤氏は就農当時は神連氏と共に栽培をしていたが、3年目からは「お前がやってみろ」と仕事を任されたと言う。
現在2人は、普段はそれぞれの圃場で自分の考えの元に栽培と向き合い、シーズン途中や終わりには状況の報告や、来年のビジョンを共有し合う時間を持っている。